森一知
Mori Kazutomo
はじめまして。森一知(もりかずとも)です。このページに訪れて頂いてとてもうれしく思います。こちらのページでは僕の生い立ちから今に至るまでのお話を書きたいと思います。
子ども劇団が僕の原点
僕は1968年5月20日、コンビナートの街、三重県四日市市に生まれました。父は金属リサイクルの会社を経営しており、比較的裕福な家庭だったと思います。
小学校に入学すると、「子ども劇場」というNPOに入会しました。基本的には演劇を鑑賞する団体なのですが、イベントも多く、それは自主性を育てる為に子ども自身が企画して運営するイベントでした。
今思えば、今行っている活動の原点はここにある気がします。一人で出来ることには限界があります。いろんな人が関わって、力を合わせて創り上げる物事の素晴らしさ、楽しさをこのときに学んだのです。
中国に憧れた幼少期、そして中国へ
そして一方僕は祖父の影響で中国にとても興味を持っていました。中国というと今ではメディアの影響もあり、ネガティブなイメージを持つ方も多いと思いますが、祖父から伝えられた中国には素晴らしい文化を感じました。
高校を卒業する頃、あの天安門事件が中国で起こり、中国は開放されました。それまで渡航が難しかった中国への道が開けたのです。そんなとき、ひょんなきっかけで北京のレストランで働けるという話があり、迷わずその話に飛びつきました。
そのレストランで調理長として働きながら、北京師範大学に入学し語学も学び始めました。二年後、北京師範大学を修了し、北京大学に入学しました。そして同時に今度は自ら新たなレストランをオープンさせました。「夢路」という日本食レストランです。
この日本食レストランが予想以上に繁盛しすぎて、北京大学を中退してしまうほどでした。その後、ビザが切れてやむなく帰国することになりましたが、残った中人国人スタッフが以後10年もお店を守ってくれました。
中国から帰国。パチプロなど様々な仕事を経験。
中国から帰国後、様々な仕事を経験しました。家業の仕事でトラックの運転手を経験したり、金融業、不動産業、建築業の営業マンも経験しました。中でも営業職は一時期とても力を入れていました。とある営業成績で日本一になったこともありました。それを機に営業職への熱も冷めてしまい、次はなんとパチプロに転身しました。
「パチプロ」なんて聞くと危ない人と思われがちですが、研究に研究を重ねる必要があるため、朝から晩までどの台が出て、どの台が出ないかのレポートを取っていました。労働?時間としてはとても長かったです。これも最高で120万円ほど稼ぐことができました。とはいえ、世間に誇れるような仕事ではありませんね…
次に何をしようか考えているときに大きな転機がやってきました。
ひょんなきっかけで国会議員の秘書に。
あるとき、実家の会社の縁で「選挙を手伝って欲しい」という依頼がありました。国政選挙です。特にやることもない時期でしたので、とりあえずやってみるかと引き受けました。
自分では認めてもらおうとか、そんなことを考えてやっていたわけではないのですが、もともとやり始めるとトコトンやってしまう性格で、僕の担当していた地域で良い結果を出すことができ、その選挙は見事勝つことができました。
当選後、先生(議員)から呼び出しがかかり、何かと思ったら僕の活躍を見て頂いていたようで「秘書になってくれないか」とお誘いを受けました。先生が知っているかは今も定かではないのですが、僕が19歳のころ中国雑技団を四日市文化会館に呼ぶイベントを行ったのですが、そのときに資金提供をしてくれた団体の会長が当時の先生だったのです。
その恩義をずっと感じていたので、秘書の依頼を快諾し、国会議員の秘書となったのです。パチプロから秘書… 人生は何が起こるか分かりませんね。
先生が落選。環境問題に着手。
2010年、参院選で先生が落選。政界を引退されました。つまり同時に僕も仕事を失いました。そんなときに興味を持ったのが環境問題と農業です。
今では多くの方に認知して頂いている四日市唯一の砂浜、吉崎海岸の清掃活動団体「四日市ウミガメ保存会」を2009年に立ち上げるきっかけになったのは、その1年程前。
四日市の沿岸公園の一つである富双緑地公園は、不法投棄のゴミ、トラックの運転手たちが捨てるコンビニゴミ、飲食業者が捨てた食べ残し、引っ越しで捨てられた家具まで、様々なゴミで溢れかえっていました。次から次へ増えてくるゴミに地元住民はもう諦めていた状況でした。
それをなんとかしたいと有志を募って清掃を始めたのが環境活動へのきっかけでした。様々な民間と行政の力を借りながら富双緑地のゴミは見事になくなったのです。その後「四日市ウミガメ保存会」「22世紀 奈佐の浜プロジェクト」など様々な環境活動へと繋がっていきました。
そして農業―。
農業に興味を持ったきっかけは、愛するペットの亀に美味しくて安全な小松菜を食べさせたいと思ったことでした。小さな畑を貸してもらい小松菜を無農薬で作ってみました。そこで知ったことは「無農薬の野菜は腐らない」ということです。
なら我々は今までとんでもない野菜を食べていたということです。そんなことで有機野菜をもっと四日市の方に、日本の方に、世界中の方々に広めようと現在の「四日市ふるさとファーム」を立ち上げることになりました。
今では家庭の事情で1人でご飯を食べたり十分な栄養を取れなかったりする子どもに食事を振る舞う「子供食堂」や地域の人が地域のこどもの育成に関わる「羽津寺子屋」、「100年続く祭りプロジェクト」など様々な活動に関わっています。
こうした人との繋がりのおかげで、どんどん縁が広がっていくような仕組みができてきています。これを継続させる事で様々な問題解決、環境づくりのモデルケースにし、色々なところに広める事ができれば、もっと多くの人が心が豊かになっていくようになるはずです。
そしてさらにこれから、僕はまた新しい構想を持っています。それは5年後に衣食住、10年後にはすべてが無料の街を作ることです。これからも森一知の活動をどうかご支援よろしくお願いいたします。
<経歴>
1968年 三重県四日市市にて誕生。
1989年 名城大学附属高等学校卒業。
1990年 北京ダイヤモンドレストラン料理長就任。
1991年 北京師範大学に留学(修了)。
1993年 北京大学文学部に入学(中退)。
1993年 北京にて西洋料理「夢路」をオープン。
2003年 国会議員の秘書に就任。(2009年まで)
2009年 「四日市ウミガメ保存会(ウェルカメよっかいち)」を発足。
2010年 「海づくり会議みえ」を発足。
2010年 「四日市ふるさとファーム」をスタート。
2012年 「22世紀奈佐の浜プロジェクト」発足。
2012年 「四日市ふるさとファーム」を「農事組合法人四日市ふるさとファーム」として法人化。
<過去のメディア出演>
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